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笑いと涙と情と芸  尼乃家河鹿・春歌亭丹馬 氏(落語家)
但馬コネクションに参加して(感想)
芸のちから・人情の輪・ありがたきこの命

「先のとがってない鉛筆を見たらなあ、貧乏神を思い出すんや。情けない貧乏神でな、内職で爪楊枝を削るんやがな。」大学時代落研だったという職場の上司が、私がたまたま手にしていた鉛筆を見て近寄ってきて、謎の言葉を残して去り、翌日、「貧乏神」と手書きで書かれた落語のCDを笑顔で貸してくださるということがあった。私が落語に触れたのは、5・6年前のこの出来事が最初で、「おもしろい!」と思ったけれども、その落語がどんな名人のものなのか調べようともせず、貧乏神を入り口にして古典の世界に遊ぶこともせず、その後も、私と落語の世界は遠いままだった。

そんな私に、但馬在住の落語家さんの寄席に参加できる機会がひょっこりやってきた。壇上に話者が座り、お話が始まったとたん、私はいっきに「芸人」による「話芸」の世界に引っぱり込まれていった。「芸」というものの力を、こんなに意識したのはひさしぶりだった。

介護の現場で実際に働いておられる尼乃家河鹿(あまのやかじか)さんの、高齢化をテーマにしたタクシードライバーたちの創作落語は愛に満ちあふれていて、うはは!と笑った後に思い返してしみじみするような視点のあたたかさがあったし、春歌亭丹馬(しゅんかていたんば)の古典落語「鴻池の犬」は、当時の船場の活気のある情景がありありと浮かんでくるようで、臨場感に満ちていた。

お話の舞台をイメージするだけでなく、私自身がすり切れた絣の着物を着て、問屋で働いている女中として、このお話に登場している映像まで頭の中で流れだした。「うちとこの旦那はんなあ、あの捨て犬のクロとひきかえに鴻池の大旦那はんから、えらい高級な反物やお酒もらいはったんやで~」って、近所の女中さんたちにおしゃべりしている私。そして心のうちでこう思うのだ。「アタシだっていつまでもこんな丁稚奉公の身分とは限らない、誰も見てなくたって、毎日ちゃぁんとお勤めしてる。そのうち幸運が舞い込んでくるかもしれない。今宮のこの通りの外に出て、私の知らない大きな世界をいろいろ見てみたいなあ!

鴻池家にもらわれていった犬のクロに自分の人生を重ねて未来を夢見ている女中の私は、世間のせまい田舎出身の女なのに、とても前向きに、明るく、その日その日をきっちり生きている。きっと当時の市井の人もこんなふうに浮き世の人情を共有し、そのことによって自分の境遇のありがたみをかみしめ、最後の「落ち」で思い切り笑って「さあ明日も私に与えられたお勤めに励もう!」と、晴れ晴れした気持ちになっていたにちがいない。それこそが生きることだったに違いない。落語とはそういう仕掛けだったのに違いない。笑いの芸って、なんてすばらしいんだ。

打ち明けると、私は「鴻池の犬」の落ちがわからず、きょとんとしてしまったわけだが(落ちについては、ネタバレになってしまうからここでは書かない)、それでも、現代に生きる私を、上方文化のただ中に身を置いているような気持ちにさせてしまう落語という「芸」について、私は心から拍手し、落語の世界にちょっと近づいてみようかな、という気持ちになったのだった。幕府を凌ぐくらいの経済力を持ち、独特の町人文化として花開いていった「粋(すい)」の文化・上方文化についても、もっともっと知りたくなった。

最後に。ちびっこ芸人さんたち、最高でした。かわいかった! 

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