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パスワードを忘れた方
セッション
下り坂をそろそろと下る  平田 オリザ 氏
1.コミュニケーション能力とは何か
2.コンテクストや文化の「違い」と「ズレ」
3.コミュニケーションのデザイン
4.大学入試改革と地域間格差
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コミュニケーションのデザイン

90年代以降、コミュニケーションの問題は、複雑系として捉えられるようになっています。原因と結果が一直線にあるのではなく、関係性や場の問題として捉えようということです。例えば、列車のシナリオで話しかけるかどうかには、その人個人の問題だけでなく、話しかけやすい雰囲気があるかどうかが関係します。配置のデザイン、組織・情報のデザイン、建築のデザイン、まちづくりのデザインといったコミュニケーション・デザインが重要と考えられるようになりました。職場でも、若い世代の意見を汲み取ろうと思えば、職場のコミュニケーション・デザインが必要です。

エンパシーを広げる演劇教育

人生経験の少ない若い人は、ワークショップでも、どんなふうに台詞を言えばいいのかわからなくて戸惑いがちです。こんなとき「話しかけるときの気持ちになって」と言う大人がありますが、これではわかりません。だって話しかけたことがないから。このようなアプローチをされると、真面目な人は「言えない自分が悪い」と思ってしまいます。真に受けて、落ち込んでしまうこともあります。

いじめ問題を取り上げる場合でも、「いじめられた気持ちになって」とよく言われますが、それがわかるなら、いじめは起きません。「人からされていやな気持ちになるのはどんなとき?」というように、自分と共有できる部分を見つけていくアプローチが必要です。列車のワークショップであれば、「話しかけるとしたら、どんな自分か?」という広げ方をして、

少しずつ共有できる部分を広げていきます。私は「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)へ」と言っています。

若い看護師さんと話をしていると、真面目な人ほど「患者さんの気持ちがわからない」と言って辞めようとします。そんなときは、大人は、何かの接点を持ってコミュニケーションとっていることを教えてあげます。相手と自分が完全に一致することはありえない。それでも、何かの接点を見つけて、どうにかしてコミュニケーションをとりながら、なんとか人生を前に進めていますよね、大人は。演劇教育は、このエンパシーを広げる教育です。

わかりあえないが、思いを馳せる

日本では、2000年以降、PISA調査において読解力をはじめとする学力低下が問題視されていますが、参加国が増えて順位は下がったものの、世界最高水準にあることは間違いありません。それよりも気になるのが、白紙回答率の高さです。特に、複数の回答があるときに弱い。あきらめてしまうというか、いったい何を聞かれているのかわからないのです。

落書き問題というのがありますが、自分の家の壁に落書きされて許せるとしたらどのようなケースか考えてみましょう。いろいろ考えられますが、独裁国家で他に声を上げる手段がないとしたらどうでしょう。異文化を理解する能力をグローバル・コミュニケーション・スキルといいますが、なぜそうしたのか「思いを馳せる」能力が世界では重要視されています。いろんな人がいると最初は面倒くさいけど、最終的には持続可能なのです。

フィンランド・メソッドでは、各単元の最後は演劇的な課題(集団による表現)でまとめられています。フィンランドに代表されるヨーロッパの国語教育では、インプットに重きを置きません。感じ方はバラバラでもしょうがない。これを教育で1つにまとめることはできないし、むしろ危険であるという認識です。バラバラであることを前提に、そういったバラバラな人間が成長して社会を形成していかないといけないので、アウトプットはバラバラではいけないという考え方です。

そこで大事になってくるのが「誰がまとめるか」。日本では問題になりそうですが、ヨーロッパでは「まとめた人」への評価が高いです。「みんな違ってみんないい」ではなく、「みんな違ってたいへん」なので、どうにかする能力、合意形成能力を身につけないといけないわけです。

「とことん話し合えばわかる」という人がいますが、「わかりあえる」ことを前提にするのはなく、「わかりあえないこと」を前提にする必要があります。そう言ってしまうと身も蓋もないので、心からわかりあえる関係は、「すぐには」「はじめからは」無理と若い人には言っています。価値観はバラバラのままでいいので、異なる文化とどうにかしてうまくやっていくことが必要です。

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