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パスワードを忘れた方
セッション
禅と無  ネルケ 無方 氏
1.キリスト教文化の中で生まれ育って(生と死を考える少年時代)
2.禅に出会う(坐禅で目覚めた身体感覚)
3.ドイツから日本へ(坐禅がしたい!)
4.修行時代(お前なんかどうでもいい。お前が仏になれ!)
5.安泰寺の住職になる(きゅうりのように育ちなさい)
6.「無」
2.  禅に出会う(坐禅で目覚めた身体感覚)

この写真は高校生の私です。腰まで髪を伸ばしていました。自分の部屋の中では、だいたいこんなふうにベッドに寝転んで、本を読んでいました。授業の時も、僕はとても姿勢が悪かった。そんな私を見かねたのか、ある時、先生に坐禅サークルに誘われます。「オラフ君、坐禅してみてはどうかな」と。私が通っていた高校には、たまたま坐禅サークルがあったのです。

1960年代、ヒッピー文化が全盛のころ、世界中のヒッピーが禅に興味を持った時期がありました。だからドイツにも、結構、禅道場があったのです。今の日本で例えて言うなら、ヨガ教室みたいな感じだと言えばわかりやすいでしょうか。禅に興味のある人たちが集まって、坐禅をすることのできる場が、意外と地方の街にもあったのです。禅を教える有資格者(禅マスター)がいて、指導者として禅サークルを運営し、多くのドイツ人が坐禅をしていました。

ヒッピー文化の影響を受けて、当時のドイツでも神秘主義の思想が流行っていました。自分の中に神を見る、というような、日本でも一時問題となったカルト宗教のようなものもたくさんあって、インドのグルの悪い評判を耳にしていましたし、私はそれらが好きではありませんでした。だから、当時の私は、坐禅から距離を置いた方がいいと思っていました。先生に誘われても、「私は禅に興味がありません。坐禅はしません、坐禅は嫌です」と答えた。すると先生は「オラフ君は坐禅をしたことがあるのかな」と聞いてきます。「いいえ、したことはありません」と言うと、「オラフ君、それはおかしいんじゃないか、一度も坐禅をしたことがないのに、どうして坐禅が嫌だと分かるのか」その詭弁にだまされて、一度だけ参加することにしたのです。

しかし、先生にだまされるようにして参加した坐禅サークルで、私は大きな気づきを得ることになった。坐禅をしてみると、これまで気がつかなかった「首から下の自分」に気がついたのです。私はそれまで、首から上だけあればいいと思っていました。脳みそだけあれば十分だと考えていたのです。私という存在は、この目で見て耳で聞いて頭で考えている。首から下なんてなくても何も困らない。私にとって大切なのは、首から上だけだ。どんなに姿勢が悪くても、頭さえしっかりしていればそれでいいじゃないか、と思っていたのです。

しかし、姿勢が変わると自分が変わることを、私は身をもって体験することになった。なってしまった。静かに坐って呼吸しはじめると、自分が生きていることに気がつく。ちゅんちゅんと鳥が鳴くのが聞こえる。パラパラと降る雨の音にも気がつく。内なる私と外の世界がつながっていく。その感覚は、私にとって非常に大きなものだったのです。一度だけ参加するつもりだった私は、坐禅サークルに通うことになりました。

そのうち、坐禅サークルの先生が辞めてしまった。君が責任者になったらどうだと言われた。私は考えました。禅サークルの責任者になるのであれば、仏教のことをもっと知らなければならない。体験でしか知らない禅も、書物できちんと学ぶ必要はありそう。高校2年生の私はそう思いました。それで、禅に関する本を読み漁りました。当時、すでにドイツでは、鈴木大拙の著作がたくさん翻訳されていましたし、ドイツ人の哲学者、オイゲン・ヘリゲルが書いた「弓と禅」という本などもありました。禅に関する本をむさぼり読んだ私の中で、日本に行きたい!という気持ちが、どんどん強くなっていきました。大学に行くよりも日本に行きたかった。

けれど、また、私は先生にだまされるのですね。「オラフ君、大学には行った方がいいよ、ドイツの大学で日本語を学んでから日本に行けばいいじゃないか」と。それで私は大学に行くことにし、ベルリン大学へ進学しました。大学に進学し、大学を卒業してから日本に行こうと決心した私は、高校生のとき、短期ホームステイで日本を訪問しました。訪問地は宇都宮市でしたが、どうしても京都に行きたくて、宇都宮からヒッチハイクしました。京都のお寺で、「坐禅をさせてください」と私は飛び込みで頼みました。しかし、誰も受け入れてはくれませんでした。坐禅がしたくてたまらなくて日本にやって来たのに、坐禅をすることができなかったのです。どこの馬の骨とも分からない、目の青い19歳の若造がいきなり押しかけてそんなこと言っても、無理な話でした。

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