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和食の成り立ちと特徴  谷 晃 氏
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1. 和食(日本料理)の起源と発展

大饗料理

料理の始まりは平安時代といわれていますが、この時代に「料理」と呼べるものがあったのかは疑問です。都市住民が成立せず、今でいう第一次産業に携わる人たちがほとんどのなかで料理と言えるものがあったのか。生きていくための最低限のものがやっとではなかったのかと推定されます。ただし、お公家さんたちにはある程度料理と呼べるものが出されていたようです。宗教的な儀式も司っていたので、そこで食べものが供せられることがありました。これが大饗料理です。乞巧奠(きっこうでん)、七夕のときに飾りと共に並べられる料理で、京都の冷泉家では今もほぼ昔どおりの形で続いています。ただし、素材がそのまま載っている状態で、調理が加えられた形跡がないので、料理とは呼べないかもしれません。

禅院料理(斎・精進料理)

料理と呼べる最古のものはおそらく禅宗寺院で出される斎(とき)でしょう。『古事記』にも、仏教に関連してちょっとした食べものが供されたことが書かれています。素材に調理を加え、素材とは別の形で供されるようになったのは禅宗寺院が最初と思われます。道元の『典座教訓』には料理の心得のようなものが書かれています。禅宗僧は日記をよくつけるのですが、その中にも料理がよく出てきます。1汁3菜が禅宗料理の基本のように言われていますが、実はそんなに慎ましやかなものではありません。もっと凝っていて、5汁25菜という記録もあるぐらいです。平均すると2汁5菜~7、8菜といったところでしょうか。料理の数なのか素材の数なのかは実際にはよくわかりませんが、コース料理的に次々と出されたようです。

本膳料理

室町時代になると、武家社会でも次第に形が整い、14世紀ぐらいには武家料理として形が整いました。これが本膳料理で、茶会記に克明に記録されていることから、様子がよくわかっています。16世紀、松永久秀という戦国武将が出した料理として良く知られています。一の膳に7菜、二の膳に5菜、三の膳に3菜が盛られたもので、江戸時代には七五三料理と呼ばれて庶民にも普及し、豊かな家の法事や祝い事に出されました。現在の間取りではまず不可能でしょう。

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