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お寺さんのあれこれ  紀氏 隆宏 氏
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仏教は釈迦が開きました。釈迦は、インドとネパールの境にいたシャカ族の王子でした。待ちに待った男の子でしたが、生まれたときに仙人から「この子は偉大な王か宗教者になる」と言われたため、偉大な王になるように城の中に囲われて育ちました。大人になって外の世界に興味を持ち、4つの門から見に行きました。東の門を出ると年老いた老人、南の門には病気に倒れた人、西の門では葬式、死者に出会いました。そして、北の門でバラモンの修行僧に出会いました。その清々しい姿を見たとき、自分も出家して人々を救いたいと考え、出家してしまいました(四門出遊)。バラモン教の修行は密林に入り、禁欲を強いる苦行です。お腹をすかせ、死にかけながらの修行でしたが、苦しむ人々を救うところが一向に見出せません。釈迦が悟りを開いたガヤという村(ブッダガヤ)があります。ガヤの村の菩提樹の下に大きな石があり、そこでスジャータ村の娘からヤギの乳をいただいた釈迦は堕落したと責められ、仲間から離れました。その後、修行して悟りを開いたといわれています。余談ですが、友人と一緒に、ブッダガヤにお寺と宿舎を建てました。地元の子どもさんから「お寺を建ててほしい」と頼まれたことがきっかけですが、だれもが泊まれる宿舎も一緒に建てました。清潔できれいということで、外国からのお客さんがたくさん泊まっていかれます。料金は決めず、ドネーションでお願いしているのですが、そうすると日本人がほとんどお金を置いていかないことから、200~300 ルピーを推奨するようにしました。

さて、悟りを開いた釈迦は、インドの北半分を回り、人々にいろんな話をされました。それをお弟子さんがまとめたものが「お経」です。それがシルクロードを通って中国とチベット、そして東南アジアにも伝わりました。

中国に渡った仏教は、儒教と合体して独特の進化を遂げました。お釈迦さまは現世の苦しみの脱却のみを説いていましたが、親を大事にするなど上下関係を重んじていた儒教の影響で、死後の世界や親の葬儀といったことが出てきて、中国仏教として体系化されました。

それが、遣隋使、遣唐使の時代に日本に入ってきたのが 558 年ごろです。

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