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お寺さんのあれこれ  紀氏 隆宏 氏
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当時の日本には、物部氏、蘇我氏という二大勢力がありましたが、物部氏は仏教に反対、曽我氏は賛成という立場でした。疫病が流行ると物部氏が廃仏を唱え、曽我氏が盛んになると仏教を広めるということが繰り返されました。特に聖徳太子が仏教を政治に中心に置き、仏教という新しい文化で国を治めようとしました。

最澄と空海は同時期に唐に渡りました。国費で派遣された最澄は1年で帰国し、比叡山に延暦寺を建てました。密教を取り入れた天台宗を開き、貴族や地方の豪族に支持されました。空海は帰国後、四国 88 ヶ所を回って、唐で学んだ建築、治水、薬などの文化を四国で実践し、各地で奇跡を起こしたとされ、お寺が建てられていきました。その後、高野山に真言宗を建立しましたが、これはいわば私立のお寺です。そして、弘法大師の呼称を与えられ、お大師さんとよばれるようになりました。

比叡山ではその後、権力争いが起こりました。延暦寺には地方から勉強に来ている人も大勢いましたが、このようなことではだめだと、山を下りて一般の人に話を始めた最初の人が法然上人、浄土宗を開いた方です。その 400 年ほど前、中国に善導大師という方がおられ、観経疏(かんぎょうのしょ)を著されました。その中に 48 の願いがすべてかなったら仏になるという誓いを立てた法蔵菩薩のことが書かれています。その 18 番目に、阿弥陀仏の名前を称えたものが往生できないようであれば私は仏になるわけにいかないということが書かれてあり、それを重視して「南無阿弥陀仏」という念仏を広めました。「南無」は帰依する、つまりすべてを捧げるという意味です。サンスクリット語の「ナーム」を漢訳、音訳したものですので、漢字自体には意味はありません。

その後、次々に比叡山から下りてきてそれぞれの教えを人々に広めていく人が現れ、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗などが興ります。これが鎌倉仏教といわれるものです。宗派は違えど、元は釈迦の言葉であり、同じものです。

徳川家康は天下を取ると、キリスト教を禁止するために檀家制度を作ります。必ずどこかのお寺の檀家になり、籍を置くことで相互監視をさせる。つまり、キリスト教が入らないように仏教で国を治めようとしたわけです。このころ、村で葬儀を出すという葬式仏教も始まりました。

明治維新になると、廃仏毀釈が起こります。これにより、お宮さんの氏子となり、行事には神さんを大事にするようになりました。しかし、お寺が戸籍を持っているため、お寺を無視することもできませんでした。もともと、バラモンやヒンドゥは多神教ですし、日本は八百万の神の伝統があるため、どちらかひとつにしなくてもええやんかという感覚もありました。このように、日本の歴史は、神仏習合と廃仏毀釈の繰り返しでした。

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