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セッション
茶の湯の心  谷 晃 氏(野村美術館館長)
主催者の挨拶

セッション
1.あいさつ
2."茶の湯の心" を包み込む日本文化の根本にあるもの
3."茶の湯" の根本にある「禅」
4.「禅」とは、人間としての生きざまを考えていくもの
5.大きく変わってきた茶の湯、これからも変わっていく茶の湯
6.文化のベースに常に "茶の湯" の心を
2.  "茶の湯の心" を包み込む日本文化の根本にあるもの

さて、日本文化の通底を流れているものはなんでしょうか。サンフランシスコにいる私の孫が、「私はJAPANが大好きだ」と言います。どうして?と尋ねてみると、「だって木が多いから」というのです。どういうことかと考えてみるに、キリスト教圏と日本の、自然に対する接し方、考え方・とらえ方、暮らし方、生き方の違いを、日本の緑を通して感じているらしいのですね。

キリスト教圏では人間が自然と対峙します。一方、日本は自然とともに生きる。人間はそこらにころがっている石ころとおんなじ。日本文化の底に流れているのは、自然との共生の考え方・暮らし方・生き方です。それでは、日本の自然のとらえ方が、仏教に由来するかというと、どうもそうとも言い切れない。「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」、などという言葉も浮かんではきますが、仏教によるのであれば、インドや韓国(これは儒教が支配的ですが)、タイとの違いを説明しきれない。日本には他の仏教国とは全く違う独自の考え方がある。岡本太郎はこの日本独自の「何か」を、縄文文化的なものと弥生文化的なものが、時代によって交互に出てくるのだ、というように説明したりしてきましたね。

日本独自の考え方の根本に、仏教があるのは間違いありません。しかしそれだけでは説明がつかない「何か」がある。この「何か」はなんなのだろうか。私は、一つには「古事記」なんだろうと思うのです。日本的なものの底にあるものを追及していると、どうしても古事記に行き着かざるを得ない。古事記の世界が現在まで脈々と続いていると思うしかないのです。それと、もう一つは「和歌」です。

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