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セッション
茶の湯の心  谷 晃 氏(野村美術館館長)
主催者の挨拶

セッション
1.あいさつ
2."茶の湯の心" を包み込む日本文化の根本にあるもの
3."茶の湯" の根本にある「禅」
4.「禅」とは、人間としての生きざまを考えていくもの
5.大きく変わってきた茶の湯、これからも変わっていく茶の湯
6.文化のベースに常に "茶の湯" の心を
5.  大きく変わってきた茶の湯、これからも変わっていく茶の湯

侘び数寄が成立したのは 16 世紀初頭です。それから少し経った 1600 年代に、小堀遠州や金森宗和らのスターが登場します。茶禅一味の言葉が示すように 16 世紀の茶人たちが深く禅に取り組みながら茶に関わったのに対し、遠州と宗和の二人は、「あんまり厳しい修行などしなくても、少し緩いくらいでいいじゃないか」というスタンスで、当時の茶の湯の世界の人気を二分していました。

同時代の人としては宗旦がいましたが、宗旦は、利休を絶対の師として仰ぐ少数派でした。のちに、宗旦の千家は 3 つに分かれ、18 世紀中ごろに成立していく家元制度によって、大きな力を持つようになります。家元制度の設立によって、茶の湯のあり方は大きく変わります。そして 20 世紀後半、さらに大きな変化を遂げました。

家元制度にここでちょっとふれておきましょう。宗旦を祖とする裏や表千家では、不完全相伝といって、リーダーになる人-それはたいてい自分の子でした-にしか全てを教えない、全てを教えてもらった人だけしか家元を継ぐことができない仕組みをとっています。この点は、かつて柳宗悦が痛烈に批判しました。「次の家元は選挙で選べばいい」とかなり挑発的な発言もしていますが、当時の茶人たちは全く耳を貸しませんでした。一方、全てを伝授する完全相伝が石州流。だれでも家元になれますから、石州流からはたくさんの流派が独立して誕生しています。

さて、これから先の茶の湯はどのように変わっていくのでしょうか。先ほど、谷川先生が茶の湯の性質を 4 つにまとめられたことをお話ししましたが、私はこの 4 つの性質に加えて、現在では「遊興性」を付け加えるべきだろうと思っています。現代の茶の湯においては、遊興性の要素が非常に強くなっていることは確かです。人は楽な方へ、楽しい方へと流れるもの、修行と稽古を中心とした茶の湯をやる人などほとんどいなくなってしまうかもしれません。しかし、茶の湯によって自分を高めたい、自分の生きざまを茶の湯によって考えていきたい、という人がこれから増えてくるかもしれない。ともあれ、未来の茶の湯のあり方をつくっていくのは私たちです。

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