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セッション
発掘だけが考古学じゃあないんですよ!  潮崎 誠 氏
1.主催者あいさつ
2.遺跡の上に生まれ落ちた宿命の「眼」
3.私の職場
4.考古学の眼で見る縄文土器の美しさ
5.古代の「地場産業」に見るものづくりの精神
6.考古学の眼で「出石焼」の過去と現在をつなぐ
2.  遺跡の上に生まれ落ちた宿命の「眼」

みなさま、はじめまして。潮崎と申します。考古学、なんともマニアックな世界だと思っておられると思います。大変ミクロな世界です、が、徹底してミクロを見ることによって、マクロが見えてくる、本質が見える。マニアックな考古学のダイナミックさ、おもしろさを今日はご紹介したいと思います。

あ、それから、先ほど中田君が「但馬のシュリーマン」と言ってくれましたが、僕はシュリーマンではない。シュリーマンと決定的に違う一番の点は、彼が資産家だったことです。シュリーマンは有り余る資産を手に、発掘を行いましたが、私にはそんなものはありません。

ただ、小学生のころから土を掘っていたのは本当で、地元の農作業しているおばあちゃんたちからは「何の虫探しとんさるんねーな」と不思議そうに声をかけられていました。釣りをする時のエサのミミズでも探していると思われていたんでしょうね。まさか子供が「土器」を探しているなんて思ってもいない、そもそも「土器」なんていう言葉が、おばあちゃんたちの頭にはなかったと思います。
私の通った日高東中学校は、まさに遺跡の上に立ってしまった学校でした。当時、体育の時間に、学校の整備と称して中庭の植樹などをしていたんですが、その作業が私には大変にありがたかった。中庭を掘り返すと土器が出るのです。

そんな環境で育ちましたから、そのまま横道にそれずに、真面目に発掘だけをしていればそれなりの「学者」にでもなれたのかもしれませんが、私は途中から「邪道」に入った。土器や石器だけを見ることが考古学じゃあないと思うようになった。学問がどんどん細分化して、マニアックな世界に入り込んでいくことへの反動、反省が私の中で大きくなっていった。今では考古学の世界も多様化しているわけですが。マニアックな発掘を突き詰めて、重箱の隅をつつくようなことをしていても、そんなお話は一般の方の共感が得られないんですよ。誰が、どこで、何をして、どこで亡くなったのか。私たちと同じ、息をして暮らしていた生身の誰かのライフヒストリーを、考古学者の手法で、もっと身近なものとして、提示していきたい。そう思うようになった。

ですから、今日もみなさん、モノの名前など覚えようとしなくていい、私も解説しません。大事なのは、意外にも身近なところに大切なことを物語るものが埋まっているということです。その土器が、どこでつくられ、どんな手法で運ばれ、なぜそこにその破片がおちているのかについて、破片だけを見て時代や名前を覚えるのではなく、過去の誰かの動きと関連づけて理解してほしいのです。

視力はよくありません、普段はとても目は悪いのです。今、みなさんの顔もおぼろにしか見えていません。けれど、特定のものについては「よく見える」。子どものころからよくモノを拾う子でしたしね。なんか違和感がある、と感じるのです。発掘現場でも、地面をなめるように目を皿のようにして見続けているわけじゃありません。ときどきしゃがみこんで、じっと見る。すると、なんか違和感があるんですね、ん?と分かる。そうするとそこにあるんです。

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