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セッション
発掘だけが考古学じゃあないんですよ!  潮崎 誠 氏
1.主催者あいさつ
2.遺跡の上に生まれ落ちた宿命の「眼」
3.私の職場
4.考古学の眼で見る縄文土器の美しさ
5.古代の「地場産業」に見るものづくりの精神
6.考古学の眼で「出石焼」の過去と現在をつなぐ
5.  古代の「地場産業」に見るものづくりの精神

さて、これは管玉(くだたま)です。弥生時代から古墳時代のネックレスです。この管玉を制作していた遺跡が豊岡市内で発掘されています。九日市にある女代(おめしろ)神社付近です。現在あの神社付近は、豊岡鞄団地として鞄関係の企業が集積していますが、管玉の製造も、言ってみれば当時の地場産業だったのでしょう。ここで注目したいのは、古代の人々が、小さな管玉をつくるための道具を的確に見抜いて知っていて、そのための素材が近くになければ遠くから入手していたことなのです。身近なところにあるものだけを活用していたのではないのですね。

管玉の素材となったのは、碧玉(ヘキギョク)という石で、これをガラス成分の多い結晶片岩で磨いて整形したのだろうと思われます。整形される前の碧玉の痕跡を見ると、キコキコ磨いてできたすりこぎ溝が見られます。すりこぎ溝にくさびのようなものを当ててポンと割る、その繰り返しによって、小さな管玉の形を作っていったのでしょう。このすりこぎ溝をつくったが結晶片岩です。結晶片岩はとてもよく研がれていることでそのことが分かります。

結晶片岩は但馬では産出しません。紀淡海峡や淡路が産地ですから、管玉をつくるための道具として、遠方から取り寄せたのでしょう。また、碧玉のうち、極めて固い石は、日高町八代谷が産地であろうと思われます。が、その他圧倒的に量の多い石の産地は、どこかわかっていません。おそらく京丹後か、、、。
そして管玉に穴をあけるための道具もありました。岩針。これは奈良や大阪の二上山からとれるサヌカイトが圧倒的に多いです。シャープペンの芯のようなものです。

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