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ミシュラン社とちょっとだけフランスの話  森田 哲史 氏
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さて、自転車に続いて、ミシュランは自動車に空気入りタイヤを取り入れます。自動車で空気入りのタイヤを実現したのは、世界で初でした。そして自動車でも、ミシュランの空気入りタイヤがすばらしいことを証明するため、1895年のパリ・ボルドー往復(1179キロ)の耐久レースで使ってもらうよう働きかけます。これもアンドレの提案でした。こうして、公のレースで着実に結果を出し、広く認められるようになっていきました。

とは言っても、そんなに容易にミシュランのタイヤが広まったわけではありません。レースでの採用はともかく、空気入りタイヤは一般的なウケは本当によくなかったのです。なにしろ、パンクしたら6時間も修理にかかってしまうという先入観が根強かったですから。

最初に空気入りタイヤを使ってくれたのは、辻馬車の経営者たちでした。彼らは経済性と効率を重視しなくちゃなりませんからね。どうしたら馬がたくさん働いてくれるのか。空気入りタイヤをはくと、なんと馬の走る距離が3倍にアップした。荷重にすると20キロほど違ってくるのです。だから、空気入りタイヤは、まず辻馬車でブレイクしました。そうして、ミシュランの空気入りタイヤを使ってくれる人は次第に増えていきました。

こちらは当時のミシュランタイヤの広告イラストです。「空気入りタイヤで牛を運ぶと、牛は100%無駄にならない」というコピーがついています。木のタイヤで牛を運ぶと、牛は骨折して運搬の途中で死んでしまうことも多かった。肉が無駄にならないことは、運送する者にとって大きな魅力ですよね。

さて、ミシュラン家とタイヤとの出会いについては最初にお話したとおりですが、実は、パンクしたタイヤを修理したエドワードは画家志望の文系肌で、日本留学を夢見て美術学校に通ったこともある人物でした。一方、弟のアンドレは理系肌のエンジニアだった。ミシュランのタイヤを論理的にとらえ、事業として飛躍的に発展させるきかっけとなった提案の多くは、アンドレによるものが多いのです。2人がいたからこそのミシュランなんですね。

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