セッション
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の~らから見えてくるもの 木村 尚子 氏
2. 今の活動に至るまで
~「編集」の概念から学んだこと ~ こんばんは。本日、お見えになっている皆さまの中には、私がいろんな活動をする中でいろいろ助けていただ方も多く、足を向けて寝ることができないような方もいらっしゃいますので、こんなところでお話をするのはなんとも恥ずかしいんですが、どうぞよろしくお願いいたします、木村と申します。 2000 年頃までは私は特にいろんなことに首を突っ込んだりせずに、家に閉じこもってずっとパソコンに向き合っていました。翻訳の仕事は、メールでデータをやりとりできて、どこにいてもできる。やったらやった分だけの報酬がある。効率最優先の考え方で、仕事をこなしていました。子どものことにもそんなにかまうことがなかった。ダメ親です。 子育てに失敗して学校の先生方には多大なご迷惑をおかけしていましたが、学校に行っている間は自分にはどうすることもできないしなあと思って、外に出ていろんなところで遊ばせてもらい、今につながる大きな学びを得ました。 最初に大きな影響を受けたのが、但馬学研究会や野外活動です。とにかく自分の知らないことだらけだった。特に、自然系の活動をしている人と接したときの経験は衝撃で、同じ一つの風景を見ていても、彼らの目には私に見えていない膨大な情報が見えている。同じものを見ていながら、自分は何も見えていないということに衝撃を受けました。 それから、ご紹介にもあった編集学校。「編集」というのは、一般的には雑誌や映像の編集をすることだと思われるかもしれませんが、それだけじゃなくて、どんな日常の小さな事も、私たちは常に情報を選択して「編集」して暮らしているんです。例えばお料理も、どんな素材でどんな調味料で味を調えていくかという編集作業ととらえることができます。そんなふうに、「情報を扱う作法」として編集術を学びました。 ここでの学びは、今の私の活動にとって大きく役に立っています。特に、ものの見方や評価軸が一つではない、ということを学べたことが大きかった。また、松岡氏は「フラジャイル」という言葉を使います。フラジャイルとは、壊れやすいとか弱いという意味ですが、そういったものを大切にされる。そして、「切実を引き受けずしてなにが編集か」という一文に出会い、「切実を引き受ける」ということが、その後の私のテーマにもなりました。編集学校以外にも、いろんなことに首を突っ込んで学んできましたが、何一つ無駄じゃなかったと思っています。 → 次のページ「3. 「NPO法人ダーナ」から「の~ら」へ」
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