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セッション
の~らから見えてくるもの  木村 尚子 氏
1.主催者あいさつ
2.今の活動に至るまで
3.「NPO法人ダーナ」から「の~ら」へ
4.「の~ら」から見えてきたもの(社会のこと)
5.「の~ら」から見えてきたもの(自分たちにできる小さなこと)
6.「の~ら」から見えてきたもの(みんな「人」で困っている)
5.  「の~ら」から見えてきたもの(自分たちにできる小さなこと)

の~らの活動の中心は農業ですが、目指すのは、農業のできる人を育てる事ではありません。生きにくいと感じている人たちのセーフティネットにもなるコミュニティをつくること、大人になりきれない人を「大人」にして社会を構成する仲間に引き入れていくこと、そして、そのみんなで社会の中でほんの少しお役に立っていくこと、共感者を増やして社会の中で生きやすい場を広げていくこと、です。

先ほど、働きたくても働く場所がない、と言いましたが、ある分野(特に一次産業の農業)では、決定的に担い手が不足しているというミスマッチがあります。の~らでは、農業を体験して働くことを学びながら、集団で担い手になることで、ほんの少し社会のお役に立てたらと思っています。晴れた日は畑に出て作物を育て、採れた野菜を自分たちで調理して食べたり、直売所で売ったり、加工もします。

単なる成長のネタとはいいながら、実際は、かなり本格的に農業に取り組んでいます。14~15 反の広大な畑です。大変なので、機械も使います。大きな機械はもらい物、借り物ばかりです。機械を使うことは危ないと言えば危ないんですけれども、担い手になっていくにはある程度機械を使うことも必要と考えています。訓練にもなるので、できそうな人には積極的に使ってもらっています。

農業など「育てて食べる」ことを活動の中心に置くのには次のような意味があります。とにかく、つくる立場に立つこと。消費するだけではなくて。最近思うのですが、働くためには、自分の提供したものやサービスが褒められたりダメ出しを受けたりする覚悟が要るような気がするのです。これは、消費者として行動しているだけでは身に付きませんので、練習します。

また、作った野菜を直売所で売るとなると、種を蒔いて育てる「生産」の部分から、きれいにして、袋に入れて、シールを貼って、値段を決めて、POP をつくって…といった「売るためのシゴト」がママゴト規模で、体験できます。売れた!というときと売れなかった…というときがある。なぜ売れなかったのかな?量が多すぎたからか、値段が高かったのか、ラベルの内容はどうだったか等々。いろいろなことを考えるきっかけにもなって、とても大切な学びの教材になるのです。

そして、先ほど言ったように、食べ物がつくれれば、お金がなくても生きていける?かもしれません。そんな安心感を持たせてあげたい。

学校の勉強、特に受験勉強では、隣の人は競争相手のようなものですが、仕事の場はそうではありません。同じ会社の人はライバルではなく、同じ目標に向かって協働する協力相手のはずです。だから、の~らでも、農業を通じて共同作業に慣れていってもらいます。

あ、よく、「土に触れるのは良いことですね」と言われますが、私自身はその辺りはよく分かりません(笑)。でも、季節を感じながら旬とともに暮らしていると、人間らしさを回復できるような気はしますね。そういったことの素晴らしさや、食べるものをつくってそれを「いただく」ことの素晴らしさも、一緒に活動する中でもっと伝えるべきなんだろうとは思うんですが、なかなか今のところそこまでできていません。感謝の気持ちを、もっとちゃんと教育的にすべきなんだろうなあと思うのですが。たまに、「あんたらっ、この食事、当たり前のことちゃうねんで!ものすごいことなんやで!」なんて言ったりしてますけど(笑)。どこまで伝わっているかはわかりません。

この秋、交流のある東北の方からサンマをたくさんいただきました。やっぱりサンマは炭火やな。あ、せっかくやから、畑からあれも採ってきて一緒に焼いて食べよか、…みたいな感じでいきなり宴が始まったり。季節とともにある、とても贅沢な時間を過ごしていると思います。

なんでも自分たちでつくる、旬のものを美味しくいただいて、味噌をつくったり、ギターを弾いたり、大工仕事をしたり(活動の拠点も、床を張るところから手造りで完成させた)、いろいろあって、そういうのがええんかなあって思うんです。活動の拠点が完成したときも、やったぁーっ!ていう爆発的なよろこびはなくて、しみじみと「ああ…、できましたね…」って、そんな感じでかみしめて言ってくれる人がいましてね、私はとてもうれしかったです。冬は畑仕事がほとんどありませんから、ヒマやから餅でもつこかって感じで餅つきしたり。そんな感じで楽しくやってます。

改めての~らの活動イメージをまとめると、こんな感じです。安心して経験を積みながら、いつか来る「出番」に備えて自分を整える場、シゴトを通じて成長する場、ということです。農業に限らず、あらゆることが成長のネタになるし、無駄にはならない。というわけで、福祉的な「サービス」を提供するつもりはサラサラなくて、「訓練に来いよ!」って感じです。対人トラブルも訓練ネタです。たまに「あの人にこんなこと言われました!」って怒ったりしょげたりしている人がいても、「そうかあ、ええやんか、よかったなあ、練習させてもらって」みたいな感じです。そして、失敗してもちゃんと受容してもらえる。そういう安心感の中で経験を積んでもらいたいのです。

また、の~らでは、みんなで一緒にお昼をつくって食べます。お昼の代金はいただいていません。ここに来て手伝ったら、なんか食べられる、一種の駆け込み寺ですね。

じゃあ、この人たちをどんな風に育てたいのかというと、ともに生きる仲間を作るのが目標なのかなと思っています。

それには、嫌々ではなく、機嫌よく働いて、ちゃんと自分の、「今、ここ」で求められている役割を果たせるようになってほしいし、いろんなスキルも身につけて、適切な認知を持ってほしい。そして、上手でなくても人と繋がれる人になってほしい。

よくコミュニケーション力といわれますが、別にペラペラと上手にしゃべることができなくてもいい。わからないことがあればちゃんと質問できて、肝心なところできちんと最小限のやりとりができたら OK なんじゃないかと思うのです。仕事を介してそういう最小限のコミュニケーションが図れたら、他人と一緒に働くことができるんじゃないか。この人は信頼できると相手に思ってもらえるような人、一緒に何かをするときにイヤじゃないと思ってもらえるような人、そんな人になってくれたら、どこに行ってもなんとかやっていけるんじゃないかと思うのです。

支援者として心がけていることですが、まずはいろんな状況を面白がって受け入れることですね。あー、そう来るんか~と(笑)。診断名とかはあまり気にしません。目の前の個人がどういう人でどういう困難を抱えているのか見て接し方を決めています。「こうなんだから、こうしなさい」じゃなくて、「そうくるか、じゃあこうしたろか」って工夫を楽しむことのできる人がスタッフには向いていますね。できないことより、できていることに目を向けるようにもしています。基本的には、どの人もいずれなんとかなるんじゃないかと、なんとなく無条件に信じていたりもします。とは言っても、あんまりどっぷりのめり込まない(笑)。所詮は他人、人ごとやと思っていないと、自分がしんどくなりますから。そして、支援者と利用者ではなく、同じコミュニティで生きる仲間として接するようにしています。

これからも、の~らはできることを少しずつやっていくんですが、社会の中での「位置」をこの図のように考えています。

コウノトリも住める共生社会である豊岡市において、就職困難な人や社会に対応できない人、軽度の障害のある人たちにとっての第三の居場所として、また、生産者として消費者や市場とつながるためにものをつくる実践の場として、さらには、過疎化や高齢化に悩む農業や失われつつある伝統文化などの問題を解決するお役に少しでも立っていける継承の場として。教育・福祉・農業・雇用・地域振興などの社会的課題を横断的に解決する主体になっていきたい、と考えています。

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