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セッション
何が私を駆り立てるのか?  中貝 宗治 氏(豊岡市長)
1.主催者あいさつ
2.わたしのまちの市長さん(子どもの視点から)
3.「豊岡」を語るときの視点、そこにある 2 つの大きな「感動」
4.「中貝流」はいかにして育まれたか(1)
5.「中貝流」はいかにして育まれたか(2)
6.感動が感動を呼ぶ。心を動かすのが「中貝流」(1)
7.感動が感動を呼ぶ。心を動かすのが「中貝流」(2)
8.感動をベースにした「中貝流」哲学
6.  感動が感動を呼ぶ。心を動かすのが「中貝流」(1)

せまり役:挫折したことは? それをどのように克服してきましたか?

うーん、、、ないです。失敗はいっぱいあります。でも、心が折れてしまうような、人生これで終わりだーというような挫折はない。ない、というか、結構大丈夫なんです。じーっと辛抱できる、ひたすら耐えられる。席を蹴ってその場を出るようなことがあって、血の気のひくような思いで毎晩うなされることになっても、死んだふりしながら待てる。そういうところが僕にはあります。

せまり役:なるほど。じーっと耐えることができるという資質は、政治家に向いているのかもしれません。このあたりで、映像を見ましょうか。

 『Living in harmony with Stork and Nature』  (動画 3分30秒)

1年に 50~60 回、全国で講演させていただきますが、その際も、この映像をみなさんに見ていただきます。じーんと感動しますよね。最初は誰も豊岡のことなんて知らないんです。けれど、帰るときには顔つきが変わっている。「感動した、必ず豊岡に行きます!」と言ってくださる。

せまり役:いい映像ですね。私も市長の講演を何度か聞いたことがあります、が、悔しいくらいうまい。東京の知人たちも絶賛していました。本当に素晴らしいプレゼンです。さて、この辺りで会場からも質問をもらいましょうか。

市長のコウノトリへの取り組みのきっかけは?

1991 年の春に県議になったころ、実家のある村の会議で、当時教育委員会でコウノトリの担当をしていた市の職員に会います。彼は、コウノトリを保護するための施設をつくりたいと考えていたので、県議の私に一度コウノトリを見てくれ、と言うわけです。そのときまで、僕はコウノトリのことなど興味はなかったのです。そこで松島さんに会って感動することになった。

松島興治郎さんはコウノトリの人工ふ化に携わってきた方です。24 年間もの間、ただひたすらに暗闇の中で、コウノトリのヒナを誕生させようと取り組んでこられたことに感動した。松島さん本人は照れて「いやあ、ただ惰性でやってきたんですよ、お恥ずかしい限りです」などとおっしゃるけれど、あからさまな誹謗中傷にもじっと耐えて、「保護したコウノトリを、いつか空に返してあげたい」というその思いだけで頑張ってこられた方です。僕は、松島さんのピュアさに突き動かされた、松島さんの生き様に惚れたのです。

このときの「感動」が、コウノトリに取り組んでいくきかっけになっています。「コウノトリ」が普遍的な価値を持つこと、つまり「種の保存」という点で世界中の人に伝わるものであることは、後で調べて分かったことなのです。

なぜ豊岡はうまくいっているのか、コウノトリをシンボルとした豊岡の取り組み(農薬を使わず田んぼの生きものにやさしい農法の拡大、市民によるコウノトリの生息地の保全活動、豊岡の取り組みを支援してお米を買ってくださる人・企業の増加など)の全体を、一体誰が把握し、成功に導いているのか、マネージメントしているのか。

しかし、いくら考えても、誰かが全体の動きをマネージメントしているわけではない、マネージメントなどできない。はじめからなんらかのプランが決めてあって、その計画に沿って実行しているわけでもない。どう考えても、「豊岡型の成功」だとしか言えないものだと思うのです。豊岡型とはつまり、一人ひとりの感動体験をベースにした、「情熱の伝播」、「共感の伝播」なのだと思います。

私をコウノトリに引き合わせた、同じ村の市の職員なども、いろんな人にコウノトリの魅力を伝えて、情熱と共感を伝播させている「そそのかしの名人」です。彼はさっさと職員を辞めて、コウノトリを保護する NPO 団体の代表として元気に活躍していますが、彼もとても魅力的な人です。

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