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歌舞伎の魅力  水口 一夫 氏
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さて、そうして、いろいろ人に頼まれてやりながら、僕も歌舞伎をするようになる。最初にやったのは、渋谷にあった「ジァンジァン(※1)」というアングラ小劇場でした。僕の歌舞伎の原点はここにあるんです。そのころから僕は、歌舞伎役者じゃない人に歌舞伎をさせていました。吉行和子や橋爪功をキャスティングして興行した『梅川忠兵衛』が、大ヒットしたんです。ジァンジァンはじまって以来のお客さんでした。これで、僕は、まあええか、ここでやることはやったなあ、って思ってね。それで、京都に帰って、自分で劇団なんかつくったりして、いろいろやっていました。

※1)1969 年から 2000 年まで、東京・渋谷の山手教会地下にあった前衛舞台芸術の発信地として機能した小劇場。収容観客数 200 人未満、舞台の左右に観客席のある非常に狭い劇場だった。

そんな僕の好き勝手な動きが、目障りやったんでしょうねえ。ある日、松竹から声がかかった。まあ、自分で言うのもなんですが、かっこよく言うたら、ヘッドハンティングです。松竹の人は本当に交渉がうまいんですよ、うまい口に乗せられて、僕は松竹で働くようになりました。

そのころから、長浜、徳島、石川、関宮、あちこちで、僕は子どもたちに歌舞伎を教えるようになります。歌舞伎の種まきです。今から、そうですねえ、35 年ほど前になりますか、最初に子ども歌舞伎に関わったのは、滋賀県長浜でした。京都の観世のシテ方の先生のツテで、ちょっと行って指導してあげてんか、と言われてね。それで長浜に行って、ちょっと指導したら、子どもたちはびっくりするくらい伸びるんです。ぐんぐん吸収する。子どもの感性の豊かさに、私は本当に驚かされてしまいました。子どもたちって、素晴らしいですよ、ほんとに。それで、私は子ども歌舞伎にのめり込んでいきました。

大人ではこうはいきません、無理ですね、昨日やったことを翌日にはさっぱり忘れて、ぽかぁんとしている。大人は本当に覚えないんですよ、というより、覚えられないんですよね。それに、わがままでねえ。お、この人は筋がいいなと思ってた人も、本番になると緊張して一言も声がでない、とかね。おかげで、私、7年禁煙していたのに、煙草を復活しちゃいましたからね。いまもモクモクと吸い続けております。

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