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歌舞伎の魅力  水口 一夫 氏
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さて、伝統芸能ってのはルールがあります、この一定のルールをね、何にも知らなくたって、勝手に感じたらいいじゃないか、とは言うものの、やっぱり知っておくことは、伝統芸能を楽しむ上で非常に大切なことです。お寺にある大きな鐘をイメージしてください、その鐘を、「知識」という名の棒で突くんです。良い音を出そうと思ったら、爪楊枝では音は出ませんね、割りばしでも音は鳴らない。やっぱり、それなりの太さの鐘木(しゅもく)で突くと、ゴォォ~~ンと、本来のいい音が響いて鳴る。知識を持って鐘をつくことで、本来の音が鳴るんです。だからみなさんも、ぜひ学んでいただきたいなあと思います。

というわけで、ここから少し、歌舞伎の歴史についてお話したいと思います。歌舞伎は、1603年に、出雲の阿国(おくに)が京都の北野神社で舞ったのが最初だと言われています。「歌舞伎」は「傾く(かぶく)」です。傾いている、歪んでいる、正常ではない、変わっているという意味です。この言葉は、僕がとても大事にする言葉です。かぶいていることが、僕にとってはとても大切なことなのです。

阿国はどこかどんなふうに「かぶいて」いたのか。阿国は女性でしたが、男装しました。そしてその恰好が非常にかぶいていた。頭をバンダナのような布でまいて、首からは十字のネックレスをぶらさげて、帯は5色のロープ、さらに、ボトムはポルトガル人のようなダボダボのパンツでした。こう聞いただけでも、相当変わっている、かぶいているでしょ。

阿国は、京都の歓楽街のような場所で、レヴュー(歌・踊り・寸劇などを組み合わせた舞台芸能の形)をして見せたんですね。それまで、能や狂言しか見たことのなかった京都の人たちからすると、阿国のレビューはとても新しかった。あっという間に評判になって、わんさかと人が見に来るようになった。そして、阿国の真似をする集団が出てくるようになります。

その、阿国のレビューを真似た見世物が、今の四条河原町あたりで、遊女屋のデモンストレーションとしてさかんに行われ、多くの人を集めるようになっていったんです。そうすると、風俗が乱れるということで、お上の目につく。中止のお触れが出ます。

すると今度は、若い衆が舞うようになります。若い衆歌舞伎です。これは、今で言うたらまさに、ジャニーズなんですね。若い衆たちは、男性のシンボルである前髪をそぎ落としました。同性愛について、当時は今よりもずっとゆるい時代でしたからね、そいういう男色を求める人たちが集まるようになって、若い衆歌舞伎は人気が出ていきました。

結局、この若い衆歌舞伎も風俗を乱すってことで、中止されてしまいます。でも、歌舞伎を楽しんだ多くのお客さんや、歌舞伎で稼いだ興行主が、なんとかもう一度、歌舞伎をさせてくれ、と、お上に懇願したんです。お上は、条件付で歌舞伎の再開を許しました。まず、女性がしてはダメ、若い衆がしてもダメ、歌って踊るだけの淫らなものはダメ、必ずきちんとした筋のある「お芝居」とすること、ってね。この条件が、今の歌舞伎のもとになっていくのです。

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