セッション
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本の未来について 幅 允孝 氏
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幅)次にご紹介するのは、佐賀県にある認知症のクリニックの待合室の本棚の仕事です。建物もユニークで、うなぎの寝床のように細長いクリニックです。認知症については、僕も知識がありませんから、関連する本をたくさん読みました。そして、現地に行って、やっぱりインタビューするんです。 佐賀県は保守的なのでしょうか、認知症の家族がいることを外に対して隠すような風潮があり、家族がお世話を抱え込んでしまってしんどくなるケースが多いんです。ですから、ここでの本棚は、半分は認知症患者用、もう半分は認知症患者を抱える家族用に選びました。認知症患者用の本は、ビジュアル的なものがほとんどです。 認知症患者は、今朝何を食べたかについては思い出せないのですが、昔のことは覚えている、あるいはなにかきっかけがあれば昔のことが思い出せる。それは国民的な出来事の記憶ではなく、全くプライベートな個人的な思い出です。 三樹書房が出している『国産三輪自動車の記録』は1930~74年頃のマツダやダイハツの三輪自動車がカタログのようにのっているビジュアル本です。これを見て、「あ、これはわしが買ったやつだ」と思い出す方がいる。昔、自分が買ったトラクターの名前を覚えてらっしゃる方だっているんですよね。一枚の写真を見て何かを思いだす。そのことが、彼の頭や身体にどのような医学的な効果があるか、それは僕には分かりません。しかし、きっと「何か」あるように思える。本の中の一枚の写真が、彼が何かを思いだす呼び水となって、彼の心の中で何かが動く。そのことにはきっと意味があると思うのです。 写真集はハードカバーでがっちり大型のもので見るのがいい、と一般的には言われていますけれど、この現場ではその考え方は合いませんでした。つまり、大きくて重たい写真集は、患者さんたちは手に取って持つのが大変で落としてしまうこともあり、危険だからです。文庫本くらいの小さくて軽い写真集がよかった。『木村伊兵衛昭和を写す』など文庫本サイズから何冊も選びました。 認知症患者さんに対して、あるイメージを見て何かを思いだす「回想録」のようなものを見学したことがありますが、僕はそういうことを目指していません。本を見て、何かを思いだすのもいいけれど、何も思い出さないのもいい。思い出さなくったっていいんです。何かを思いだすことが目的になっちゃうのは、ちょっと違うかなーって思うんですよ。本って、そのくらいの距離感で人に寄り添ってくれるものだと思うからです。 認知症患者に対しては、映像も多く使われますが、本がいいのは、ストップできることです。ページをめくる手をとめることができる。自分のペースでめくることができる。読み戻すことも、飛ばすこともできる。自分の中に染み渡る感覚と時間を、自分なりに牛耳れる。自分のペースで、その感覚を自分の中に取り込んで自分のものにしていける、そのことがとても大事だと思っています。 認知症患者の家族用に選んだ本はどんなものかというと、基本はストレスアウト用の本です。おじいちゃんを先生に診てもらっている15分だけでも肩の力を抜いてもらいたい一心です。また、介護の終わった後の自身の人生を考えてもらうような本も選んでいます。ぎゅーっと自分を追いつめて、介護だけに入り込んで世界が小さくなってしまわないように、俯瞰して見てもらえるような本も、見てほしいとの願いから。 → 次のページ
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