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セッション
いのちのヴァイオリン  中澤 宗幸 氏
1.主催者あいさつ
2.但馬出身の中澤さん
3.「ヴァイオリン」という楽器
4.「ストラディヴァリウス」について
5.ヴァイオリンとの出会い(生きることと音楽 ①)
6.ヴァイオリンは特別な楽器ではない
7.ヴァイオリン・ドクターへの道
8.被災木でヴァイオリンをつくる(生きることと音楽 ②)
9.ふるさと但馬への思い
5.  ヴァイオリンとの出会い(生きることと音楽 ①)

中澤さんは、幼少の頃、お父様にヴァイオリンを習われたとあります。ヴァイオリンとの出会いはどのようなものだったのですか?

僕の親父は明治の人間です。山林業を営んでいました。杉や檜や松を植林して、間伐して、伐採して、製材する。そして建築する。だから、小さい頃から僕は「木」に親しんで育ちました。けれど父の仕事がうまくいかなくなって、一家が路頭に迷うような時があったのです。

金があったときはたくさんの人が家に来ていました。けれど、何もなくなったとき、親戚までも来なくなった。父は「人がお金の有無によって去ってしまうこと」に失望したと思います。人はお金でつながっているのかと。
後であの時のことを思ったら、父は一家心中を考えていたんだろうと思うのです。8人の子どもを抱えて、どうしたらいいのかと思ったでしょう。
僕の上は姉ばかりで、僕は待ちに待って生まれた待望の男の子でした。ついに生まれた男の子が私だった。こんな大事な男の子を連れて行く(死ぬ)ことはできないと思ったんでしょうね。それで、父はあるとき変わりました。水車を見て、もっと大きな水車をつくれば動力になるのではないかと考えたのです。そして、家よりも大きな水車をつくりました。水車の出すギリギリいう音を、今も思い出します。そして、そのギリギリいう水車の音と共に、我が家の再生は始まったのです。

そんなどん底からの「再生」の頃、なんでも器用につくってしまう父親が、見よう見まねでヴァイオリンをつくったのです。それで、夕食の後、僕たちにヴァイオリンを弾いて聴かせてくれた。みんなで父のヴァイオリンを聴きました。父が弾いてくれたのは、童謡、例えば「赤とんぼ」とかだったと思います。また、船頭歌をたくさん弾いていたように思います。一家を船に乗せて、なんとか自分が引っ張って家族を守っていかなくては、という父の思いが、船頭歌に込められていたのではないかと思いますね。今となっては、どんなつらい思い出も美しく思い出すものになっているのかもしれませんけれどね。

父の言葉が今もずっと私の胸にあります。「お金は大事にしろよ。でもなあ、お金に動かされるような人間にはなるなよ」「どんなときでも、音楽はいいものだよ」「生きていることは、それだけで難しいことなんだよ」 この3つの言葉で、私は養われてきました。心の支えです。

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