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セッション
いのちのヴァイオリン  中澤 宗幸 氏
1.主催者あいさつ
2.但馬出身の中澤さん
3.「ヴァイオリン」という楽器
4.「ストラディヴァリウス」について
5.ヴァイオリンとの出会い(生きることと音楽 ①)
6.ヴァイオリンは特別な楽器ではない
7.ヴァイオリン・ドクターへの道
8.被災木でヴァイオリンをつくる(生きることと音楽 ②)
9.ふるさと但馬への思い
7.  ヴァイオリン・ドクターへの道

ところで、朝来での幼少期を経て、中澤さんはどのようにしてヴァイオリン・ドクターへの道を歩まれるのですか。

僕はね、そんな風に父のヴァイオリンを聴いて過ごしたから、「絶対に世界一のヴァイオリンづくりになろう!」と決心してイタリアに行ったんです。しかし、半月もしないうちに、ああダメだ、これは適わないと思いました。イタリア人はとにかく遊び心がある。「いいかげん
なんですよ、いい意味で。ワインと女性があればいいって感じでね。バカンスだってものすごく長期にわたってとりますよね。1か月も2か月もとるんですよ。僕たちなんて1か月も休んだら、大丈夫かな、ちゃんと復帰できるかなって心配になっちゃうでしょ。

私のつくるものは、絶対に「くるい」はないんですよ。びしっとつくって、例えばコンクールなら間違いなく合格点です。けれど、芸術性があるかどうか。
演奏の世界でも同じことが言えます。みなさんご存知のように、今日のコンクールは減点法です。ミスがなく、ソツのないものが高得点になる採点法なのです。つまり、コンピューターのコピーのように間違いがなければ、コンクールで優勝できるのです。CDのようにやれば減点されない。しかし、そこに心はありません。サーカスをイメージしてください。小さいころから優れた「調教師」について、とことん徹底的に長時間「訓練」しさえすれば、難しい曲芸もできるようになるの同じです。

それに比べて、「いいかげん」なイタリア人のつくるものは、なんか「生きている」んですよ。作品としておいてみたときに、彼らのつくるものにはまぎれもない「芸術性」としか言いようのないものがあるんですよ。一見いい加減にも見えるイタリア人たちの、人生を謳歌する姿勢が、この「芸術性」をもたらすのですね。イタリア人には到底かなわない、僕は2週間くらいで悟っちゃいました。彼らがつくり出しているものこそ、本当に「生きた芸術」だと。
それで僕はこう思ったのです。「そうか、僕は世界一の修復師になろう!」って。楽器の修復は、絶対に間違いが許されません。厳密性が問われます。そもそも日本人が得意な「繊細さ」を最大の武器にして、世界一の修復師になろうと、決めたのです。そして、今に至っています。

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