セッション
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新しい広場をつくる 平田 オリザ 氏
6. スラム化する日本社会 ①
私たちは何を失ってしまったのか さて、ここ20年ほど、私は国内外をずっと移動しながら暮らしているんですが、どこに行っても、地方都市の風景は本当に画一化してきていると感じています。私が初めてアメリカに行ったのが1979年でした。今の日本の状況は、ちょうどその時代のアメリカに似てきていると感じている。1979年のアメリカは、ベトナム戦争の影を色濃く引きずっていて、社会全体が暗く落ち込んでいました。町の中心街はスラム化が進行し、非常に荒んだ風景が広がっていた。そのことは、そこに暮らす人々の精神状態の荒廃をも現していたと思いますが、そのアメリカの風景とそっくりの風景が、いま、日本の地方に見られる。 みなさんの耳に「スラム」という響きは、ちょっと、ショッキングすぎるかもしれませんけれども、今の日本は、社会全体がスラム化の一歩手前だ、というふうに私は見ています。 ここ20・30年で消費社会と金融社会が全国津々浦々にまでいっきに広がった。
日々の買い物の利便性の追求によって、私たちが失ってきたもの、その代償はとてつもなく大きい。 もちろん、「経済」は私たちにとって必要なものです。しかし、「経済」に追随するあまり、中心市街地が持っていた機能を、私たちは失ってしまった。まちが受け継いできた「時間」と「空間」を完全に失ったのです。私たちが失った時間と空間の代表が、床屋と銭湯、そして駄菓子屋です。これらの場所は、その地域のコミュニティが凝縮した場所の象徴でした。江戸時代の滑稽本にも出てきますよ。 床屋に行くとなぜかいつも将棋を差しているおじさんがいて、その横で子どもは漫画を読んでいる。見るともなくおじさんは子どもを見守っている。駄菓子屋さんにはいつものおばちゃんがいて、なじみの子どもたちの顔をちゃんと見ている、なにか異変を感じると、自然に子供に声をかけていた。 経済活動の枠組みでは、これらの人は「無駄」な人とされます。しかし、彼らこそが、地域の子どもたちを教育してきたのだし、地域の人と人をつなげる役割を果たしてきたのです。今風の言葉で言うなら、「無意識のセーフティネット」であったわけなんです。地域の大人で子どもたちを見守ろう、なんて言って、わざわざ活動隊を結成してことをおこす必要なんてなかったんです。 私は今も、髪を切るときは、生まれ育った近所の床屋さんに行きます。他の美容院なんかで髪を切ったらすぐにバレちゃうんだから。行くしかない。ある意味非常にめんどうくさい。けれど、私の予定に合わせて、開店時間を早めてお店を開けてくれたりもしてくれる、そして、「あそこの~さんは最近体調がよくなくて危ないらしいですよ」とか、他では得がたい有用な情報をいただけたりするわけなんです。 → 次のページ「7. スラム化する日本社会 ②」
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