セッション
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新しい広場をつくる 平田 オリザ 氏
9. 都市-地方間の歴然たる文化格差
今、東京の中高一貫校では、「アクティブラーニング」と言われる、演劇やディスカッション、ワークショップを取り入れた参加型の授業の取り組みが進んでいます。これは、数年後の大学入試制度の変更を見込んでのことです。これまで、東大に受かるためには、東大の入試試験の傾向と対策をしっかり学んで、予備校で類似の問題を教えてもらって勉強していればよかった。けれども、そんな受験対策が全く意味を成さない、対策の立てられない問題を受験生に課すことが、いま、進められているんですね。問われるのは、もっと柔軟な発想や対応力です。右脳と左脳をシャッフルさせること、その上で、きちんと人に説明できる能力や、やさしく人に対応できる能力を見ようとしています。 アクティブラーニングの一環で、僕は筑駒(筑波大学付属駒場中学校・高等学校、進学校として知られる私立の教育機関)で、ちょっと実験的な授業を持っています。筑駒の生徒たちに、永山則夫(連続ピストル射殺事件を起こし、1997年に死刑となるまでの28年間を、刑務所で創作活動を続けた小説家)の手記を読ませて、それを演劇にしなさいといった課題の授業です。豊富な知識がある裕福な家庭の子弟である彼らにとって、永山の世界は想像もできない。貧困と無知によって殺人を犯してしまった永山のことを、どうやって理解して、それを演劇にまでしあげるのか。彼らは必死に考えます。これは、私にとっても、なかなかおもしろいプロジェクトです。 また、岩井秀人くんという若手の劇作家を招いて、古典を題材にした授業もしました。岩井君というのは、こう言っては本人に申し訳ないんですが、日本で最も教養のない劇作家なんですね(笑)。16歳から20歳まで、彼は完全に引きこもっていて、演劇という表現に出会って救われた人なんです。大検で大学に通い、いまは向田邦子賞、岸田國士戯曲賞を受賞している注目のスゴイ奴なんですが、なにせ、一般の高校生くらいの知識がごっそり抜けている。
筑駒をはじめ、東京の有名私立学校の生徒たちは、アクティブラーニングの授業を受け、両親の影響や周辺の環境によって小さい頃から非常に多様で質の高い本物の文化に触れて育っている。高校からコンテンポラリーダンスの鑑賞なんて当たり前、留学や旅行で海外のことも広く当然のこととして知っている。別荘だって海外にある。そんなこと特別でもなんでもない。田舎の学校にこんな授業はありません。コンテンポラリーダンスに触れる機会もない。このまま文化格差の広がるままに放置していると、田舎の子どもたちは東大や京大に入れやしません。それが現実なんです。 東京の私立高校出身の彼らと大学で一緒になった地方出身の彼・彼女は、自分の生まれ育った文化レベルに気がついて、愕然としてしまう。自分が享受してきた文化レベルのあまりの低さに、絶望してしまうわけですよ。自分が知らずに育ってしまった文化にどうやって追いついたらいいのか。地方で真面目に受験勉強をして受かった国立大学で、東京の彼らの成熟した文化レベルに触れたある女子学生は、この(理不尽な)状況をどう受けとめていいのか分からないと私に打ち明けに来たことがあります。 地域間の文化格差は非常に大きい。就職に関しても企業はセンスのいい奴から採用しますからね。残念ながら、田舎者に逆転のチャンスはない。田舎は田舎の強みがあるじゃないかとよく言いますが、今の田舎の子どもたちは全く「自然」を知りませんよ。全く歩かない。自然など知っていません。都会の富裕層の子どもたちの方が、よっぽど「自然」体験をしています。海外にまで出かけて熱帯雨林を歩いてきたとか、よりアドベンチャーな体験も豊富にしている。 生まれた場所・地域の「文化」によって、私たちは人生まるごと影響を受けてしまう。それが「文化」なんです。文化を支える資本として、私は3つの要素があると考えています。3つの「文化資本」です。 ① 成長した後の努力で得られるもの(学歴、資格、知識など) 裕福な都市の一部の層だけに3つの文化資本はさらに集中し、地方ではますます機会が失われていく。だから、何度も言いますが、地方の行政が果たす役割は非常に大きいと思っています。 → 次のページ「10. 新しい「広場」をつくる ①」
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